断片 13

労働とは何だろうか、と、働きながら、考えたりもする。わたしの労働観の基礎は、いたって素朴なものだ。開拓民(=侵略者、でもある)の生活を、想起する。狩猟、採集、耕作。社会があって働く、というよりも、働くことで、これから社会が形成されていく、…

断片 12 (現実)

思考を拘束する、「現実」という言葉の呪わしい魔力には、いつも抵抗していたい、と、思う。「現実」なるものは、誰もが私有することのかなわない、「真理」のようなものなのだが、時に、説得のためのレトリックとして、この言葉が用いられることがあるから…

断片 11 (土地)(みえない核)

15歳までは、この、八雲の地で過ごした。学校の関係で、函館市に移り、そこで3年間を送って後、東京で暮らし始めた。 東京には、10年ほどはいたのだろうか。大学生活をそこで送り、その後、様々な出来事を経験した。再び、八雲の地に帰省して3年程にな…

断片 10

中上健次の作品を、思えばまだすべて読破した訳ではないのですが、最も心酔させられたのはやはり彼であって、わけても、「枯木灘」、「千年の愉楽」、「奇蹟」の諸作品であった。だが、中上健次の作品について語られるものを読んでみても、いつも裏切られる…

断片 9

戦後詩、というカテゴリーは、だいたい1970年頃のものまでを指すらしい。戦争のあと、という形で、「第二次世界大戦」の行われた時期をひとつの画期として定めているのだが、それはたんに世界史上の時代区分に倣ったものではなくて、詩史上にも、明らか…

断片 8

しずかな休日である。晴れていて風もあたたかい。窓からは、踊るように、傾いた西日が入ってくる。今日は、谷川俊太郎の詩集、石原吉郎の詩集、聖書、讃美歌集などをひらいては、茫然と眺めていた。讃美歌集の詞の言葉は、素朴ながら、ただ眺めているだけで…

断片 7

かつてロンドンにおける講演会で、ステファン・マラルメは、フランスにおける詩の定型からの解放の始まりを、ふかい驚きをもって伝えていた。それから100年以上の時が過ぎ、日本においてさえ現在では、詩とは一般に自由詩を指し、定型詩の試みはいずれも…

断片 6

アナーキズムに対して、さしたる理論的な関心はない。というより寧ろ、大杉栄にもクロポトキンにもバクーニンについても、わたしは殆ど知識を持たない。だが、近代文学にとってアナーキズムの様々な形態が果たした役割は、けして看過できないものがある。既…

断片 5

一方で私には、詩が何か高等な技芸であってたまるか、というような思いもまた、ある。飲みながらの愚痴、便所の落書きにこそ、詩の根源があるとするべきだ。そこからゆくと、現在の詩の書き手というのは、自由な心の領分すら、何かしら外的な秩序の拘束のも…

断片 4

殊更に、詩という、たかだかひとつの文芸ジャンルを祭り上げるつもりはない。だが、そこには、われわれの「心」の問題が依然として横たわっているのである。だから私はそれに拘泥する。いかなる発展もまたいかなる歴史的悲劇も、もしそれが人の「心」の問題…

断片 3

時代は確かにニヒリズムのものである。核心にある空虚を隠蔽するための笑顔が溢れている。おそらく、諸家が指摘する通り、それはかつてニーチェが、あるいはフーコーが予め指摘したような人間の没落の時代なのだろう。わたしはニヒリズムの徒でありたいなど…

断片 2

現代詩については、学生時代にいちばんよく読んでいたと思う。最近は余り目を通すこともないのだが、それは、わたしのなかで何らかの或るものが、失われているという感覚と深く関係するように思っている。図式的に整理することはさほど困難ではない。ようす…

断片 1

stingを聴いている。思潮社の現代詩文庫を何冊かクローゼットから取り出してみる。ページを捲りながら、とりたてて言葉も出てこない自分を訝しく思う。わたしは詩という文芸が好きである。だが詩の言葉の、なんと困難なものかと、改めて思います。ほんとうは…

ホームページ

七日くらい以前からになるでしょうか、ホームページの制作を始めて、ようやく公開が実現しました。このはてなダイアリのプロフィール欄にも記載していますが、urlはこちらになります。 http://akacanaria999.weebly.com/です。タイトルは、このページと等し…

テスト

テスト

近況

近況 さて、年が明けて第一回目のブログになります。生来、こういう日記の類を持続することを、大の不得手とする自分にしては、この「まっ赤なかなりあ」は、よく続いているものだと思います。ええまあ、非常に散発的な執筆に過ぎないのだけれども。ともかく…

脆い思想

雪が、ようやくやみました。朝方から、ずいぶん、勢いよく、降っていました。もうすぐ、積雪になるでしょう。2009年という年も、間もなく終わろうとしています。今日は仕事がお休みで、音楽に耳を傾けたり、食事へ出かけたり、あるいは、八木重吉の詩を…

ヘーゲル 2

「キリスト教の精神とその運命」第2章、イエスの登場。ここから、聖書の記述に即して、ヘーゲルのイエス観が開陳されています。ここでは「実定性(既成性)」なる概念がキーワードになっている。ユダヤ教のいわゆる律法主義と、当時、広く名声を博していた…

ヘルダーリン 2

当たり前だが、仕事を終えた後に読書をするのはなかなか厳しいものがある。今日はヘーゲルとヘルダーリンに関する論文を検索して読んでみた。ヘルダーリンの詩は古典主義からロマン主義に転ずる過渡期にあって、そのいずれに属するとも判別しがたい独特の様…

ヘーゲル 1

気候の変化の影響か、知らず知らずの内に疲労が溜まっていたものか、おそらく両者なのだろうが、数日前から再発した腰痛が、よくない。椅子に腰かけて読書ができないのがつらい。今日はヘーゲルを読んでいた。「キリスト教の精神とその運命」である。第一章…

ヘルダーリンを読みながら

岩波文庫、川村二郎訳、ヘルダーリン詩集。川村二郎は、先日偶然にひらいてみた30数年前の詩誌において、天沢退二郎と対談し、詩の現状についてふれ、「フォルム」の欠如、乃至、崩壊について発言していた。現時点からふりかえってみて、実に正鵠をえた指…

無神論の意義

amazonでオーダーしていた2冊が、ようやく届きました。辺境の小さな町で暮らす身には、通信販売の発達は誠に悦ばしい。だが、池袋のジュンク堂、リブロ、もはやないが、ぽえむ・ぱろうる、それに早稲田の古書店街が無性に懐かしくなる時がある。まァ、また…

その雪に、さわれない

雪が降っている。昨日の明け方から降り始めたのは仕事中だったので確認したが、まさかもう積もるものだとは思っていなかったので、真っ白く雪化粧をした窓の外の光景には驚かされました。まだ、自動車のタイヤを冬用のものに交換していないのが聊か気がかり…

memo

現代詩とポエム、なる対立概念を用いることに、どれほどの意義があるだろうか。それは寧ろ、真の対立を覆い隠す幻想ではないのか。ポエム、は、現代詩の主流を自認する立場からの蔑称である。だが、「現代詩の主流」とは何か。そんなものが実在しているのだ…

デザインを変更してみる

衣替えにはまだ幾分気が早いけれども、ブログのデザインを変更してみました。精々、月一回から数回しか更新できていない寂しいわたしのブログではあるけれども、見栄えというのはやはり気になる。ずけずけと書いてしまうが、わたしはそれほど他者のブログを…

今日は涼しくていい日です

自転車屋さんへ赴いて、二年ばかり使用していなかった自転車のタイヤに空気を入れて、しばらく町中を疾走していました。風が柔らかくてとても気持ちがよかった。先日、図書館から借りてきた、谷川俊太郎の詩集をざっと眺めてみる。どうしてもわたしは、若い…

近況など

調子がいいのかわるいのか、音楽ばかり聴いています。勤務時間以外はほとんど部屋にいて音楽に耳を傾けていて、他に特に何もしない。十代の頃のようにひたすらに聴いている。二十代は余り音楽に熱心でなく、「音楽断ち」と称してオーディオのスイッチを押さ…

鶴田知也 「べロニカ物語」、

を、町立図書館で読んだ。川村湊は解説で、(中上健次の)「紀州サーガ」に倣って八雲サーガと呼んだらどうか、等、書いているが、これも鶴田知也の「八雲もの」をなすというべき一作である。 けばけばしい脚色は一切ない。この八雲の地に、野生のべロニカが…

おはよう、おやすみ

夜勤明け。今朝は幾分過ごしやすい天気です。まだ早朝は肌寒かった。いつも夜が明けていくのを、道端にすわりこんで煙草を吸いながら眺めています。空の色調の移り変わりがうつくしい。そういえば子供の頃、海沿いの国道を走る自動車のなかから暮れてゆく海…

呟き

しかし、暑い日です、夜勤明けで今夜も夜勤だから、眠らなくてはならないのだが、この暑さではうまく眠ることができない。iTunesから、村治佳織のクラシックギターが流れている、サティが心地よい、ピアノのような重さがなくて子守唄には丁度よい。音楽はい…