民主主義と英雄

 爛熟した民主主義は英雄を殺そうとする。人々は英雄を待望しながら、それが現実の力を持つに到る事態を極度に恐れている。祭り上げられた英雄は憎悪の対象となり、人々はそれを嬲り殺しにすることを欲望するに到る。

 そんなことが脳裏を掠めたのは、イラクにおける最初の日本人人質事件を巡る顛末に接してのことであった。かれらの行為は、その意義を問うまでもなく、英雄的と呼ぶに足る条件を満たしていた。それが、ある種の幼稚さから来たるものであったとしても、いやだからこそ、十分に英雄的であった。

 しかしながら、世間は既に、英雄的なものへの感性を失って久しい。

 かれらの行為をを擁護する言説は極めて僅かに過ぎなかった。

 ビン・ラディンはどうか。ブッシュ米大統領はどうか。

 英雄とは歴史的なものに関わる概念である。この現代民主主義は今後未来に向かっていかなる歴史を織り成してゆくだろうか。われわれは如何なる英雄を迎え、それを殺そうとするのだろうか。