朱雀の、啼く

文学と、政治と。

理論家たちと実践、党

 高田馬場古書店街を訪ねれば、山のように積みあげられた過去の社会科学文献を目にすることができる。

 9.11と、その後の一連の出来事に接して、ポストモダンの時代に理論的言説において活躍した人々は一斉にトーンダウンし、あるいは沈黙を余儀なくされていた。歯切れの悪い、言い訳じみた発言が、かぼそい声で届くだけであった。

 それは、思想の現在の退廃ぶりを示して余りある光景であった。

 だが、それはそれでいいのだろう。そこから未来に向かって、今後どんな動きが生まれてくるのかに着目したいと思う。

 しかし、危機的な状況において人々を精神的に指導できない思想に、われわれは何を期待すべきであろうか。

 もしも、思想が、たんに一部の好事家の嗜みに過ぎず、わが無力を慰める働きしか為しえないのであるならば、それは形式を異にした抒情詩でしかありえない。

 詩は詩へ求めればいい。思想には思想をこそ求めたい。

 実践への緊張こそが思想を思想たらしめる。実践から遊離した思想は泡沫の如きものです。

 そして、諸芸術すらこの現実との緊張関係がその価値を最終的に決定している。

 左翼思想の頽廃は明らかに実践の契機を失った所に胚胎した。

 日本共産党のような政治的な党派を鼻であしらうような思想界の風潮は一掃されるべきです。

分裂主義では今後、何も発展はない。

 実践において問い返され、そこから生まれてくるものをこそ評価し、信頼してゆくべきだと思います。

 ことは新左翼諸党派についても同じ。