朱雀の、啼く

文学と、政治と。

唯脳論その他への違和

 まず、知性への信仰に苛立ちを感じる自分がいて、それはおそらく、学校教育のなかで、たかだか学校の勉強が器用にできない、やらない、といった所で、傷つきやすい子供の心を痛めつける。劣等感を持たせる。

そういう光景にわたしは憤慨してきたということがあって、唯脳論と呼ばれるような脳のイデオロギーには、知性信仰者を惹きつけて力づける所があると思うんです。

 それが、非常に気に入らない。勘違いだと思うし、そういう迷妄から醒めるような経験を是非して貰いたいと思う。

 それから、違和感のより核心に近い部分にあるのは、「脳についての知識」と、「わたし、われわれについての知識」は異なるのだし、その差異にこそ、「心」のもんだいが現れるように感じているのだが、件のイデオロギーは、そこを余りに乱暴に処理する傾向があると思います。これは、偏見かもしれないが。

 だが、違和感は感じつつも、さまざまな心、意識についての、宗教的表象からわれわれを解放する契機になりうるという点、また、人間のさまざまな可能性を見つけ出し、展開しうるという期待もあり、医学的な応用はいうまでもなく、脳の研究の価値には非常に大きいものがあることを認めるに吝かではありません。

 そのイデオロギー的な形態に違和感がある、ということ。