時代性について

 時代、という言葉が空々しく感じられるようになったのは何時の頃からだろうか。

 それには至極当たり前の理由がある。その概念はほとんど常に、過去の過ちの責任を免れようとする意図を持って多用されてきたのだから、ひとが時代という言葉に何かしら不信感を持って、その使用を避ける傾向には一定の意義を認めることができる。

 だが、同時に、時代という言葉は、ある種の郷愁の感情を伴って口にされてきた。

 現在においては、過去の時代への郷愁があるのではなく、時代性そのものへの郷愁が存在する。 

 では時代性とは何だろうか。

 歴史的に形成された、一定の前提や目的が共有される時、そこに時代性が成立する。

前提も目的も常に存在するものだ。その意味では現在もまた、ある一定の時代のなかに含まれている。だがそのことは明瞭に意識されず、まるで時代の外部に立っているかのような感覚が広く共有されているのではないか。無論その事実は現在がおいてある時代の特徴を明瞭に示して余りあるものだ。