朱雀の、啼く

文学と、政治と。

スピリチュアル

 哲学思想系のブログを巡ってみると、昨今の所謂「スピリチュアル・ブーム」の影響ということなのか、そういった事柄を扱ったものの多さに驚かされる。おそらく、そんなことに今更驚いているわたしは呑気に過ぎるという所なのだろう、と、いささか自嘲しながら、とりたててブームなどなくても、要するにこれはずっと古くから連綿と引き継がれてきた民間信仰の現在的な形態なのだろうと思い直す。わたしがそのような流れに与し得ないのはおそらく、キルケゴール的な厳粛さ、とでも呼ぶべきものの欠如をそこに感じるからで、信仰も思想も、ある厳粛さを前提的な態度として要求するものこそそう呼ぶに足るものだというふうな信念があるのである。もっと直截にいえば、わが身一身の幸福や救いなどというものは、思想信仰にとって二の次に位置づけられるべきだろうと思っているのである。だが、スピリチュアルなものは、私的な癒しであるとか願望の実現といったことばかりに焦点が合わされているように見えるというわけだ。そういったものには関心が向かない。

 

 聖書には、信仰するものは既に救われている、といった記述が見られたように思う。

 救世主イエスは、神の国はあなたがたの間にあるのだ、と語ったことが記されている。