朱雀の、啼く

文学と、政治と。

信仰、芸術、詩、実践

 信仰とは何でしょう。それが、いまの私の課題の一つを成しているように感じます。わたしには、芸術も詩も、信仰においてはじめて、その意義に目覚めるというような予感があります。

それらは本来、一つのものであって、おなじ心の場所から来たるものではないのでしょうか。

 実践、ということについても閑却できません。わけても昨今は、実践から遊離した知が喜ばれる風潮が強く存在するように感じています。それにはそれの意義があることを認めるに吝かではありませんが、関心を持って臨むことができません。

 現代詩についても同様のことが云えるように感じています。信仰も、ひとつの実践です。

 無神論を前提に、さらにヒューマニズムを乗り越えてゆく、というような立場に、未来はあるのでしょうか。わたしには、そうは思えません。分化に分化を重ねて、本来的なある豊穣なものが失われてゆくのを目にするのは、忍びない。

 果たして本当に、私達にとって、原点を成すものは、失われているのでしょうか。

 それは見せかけであったり、我々と原点とを隔てる障壁の前で、再びそこに到ることを禁じられているといったところではないのでしょうか。