朱雀の、啼く

文学と、政治と。

視座

 信仰と生活、政治と宗教、芸術と信仰、芸術と政治、また、生活と政治、生活と芸術。こういう様々な組み合わせにおいてあたらしい視座を求めたい。それらは本来統合されていた何か、です。分化発展はある限界点に達しています。そこでそれらの間における関係性が現在の課題としてあるようにわたしには思えてなりません。

 既定の関係性の解釈には違和感を持っている。それではどうにもならない、という焦りがあります。

 わたしたちは歴史を進めていかなければならない。進歩し、発展させなくてはならない。ほんの一歩でも、歩みを刻みつけなければならない。こういう信念があります。何も変わらないとか、進歩なんて幻想であるというニヒリズムに留まってはいられないのです。なるほど、それは子々孫々の為であるとも云うことはできますが、本当はそれは副次的なことだと云っていいと思っています。あくまでも、本質的には、生きるわたしたち自身の問題です。生きるとはなにか、という問題です。これは、観照的な立場からはけして出てこない問いであり結論なのであって、あくまでも実践的な運動の範疇で掴まれなくてはならないような当為です。

 そのためにあたらしい視座が必要とされています。何がわたしたちをそこへと導くのでしょうか。感性的なものの意義がそこに現れるような気が致します。