物語

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 オイディプスの劇はさながらある人間の普遍性を示しているかのようです。だが、フロイトの説明は殊更に必要がない。虚心に読めば、そのことが得心されるはずである。盲目となることが市民的であることだ、という示唆がそこにはある。盲目となり、子供に手を引かれつつ退場すること。それが我々に課された市民的義務である、というイロニーがそこには存在する。わたしはどうだろう?と、わたしは自問せざるをえない。盲目となることはひとつの矛盾の解決なのだが、わたしはそれを拒絶してしまい、その機を逃してしまったかのように思われてなりません。それにしても、なんという劇だろう。先に市民的義務と書いてしまったが、精確ではない。勿論、義務の多重性こそが劇において扱われている。だがいずれにせよ、法であれ掟、徳であれ、それが共同性に立脚した命令であることに変わりはない。ここには何重にも張り巡らされた逆説が存在する。アンチゴネー、倫理における矛盾の極点において何が救い出されようとしているのか。異邦人、非国民、世界市民、何とでも云えるだろうが、物語は未来をこそ希望している。遥かな古代ギリシアの未来への希求は、連綿と現在にまで引き継がれています。