朱雀の、啼く

文学と、政治と。

変化について

 おおきな時代の変化のうちにある、とはどういうことだろう。ここ30年近く、この国は諸方面において相対的に安定した時代だったと云えると思いますが、変化の経験についての貧しさが、変化を敏感に察知することを困難にする傾向というのはありうるかも知れない、と、思います。あれこれと想像をめぐらしてみても、変化のうちにあることを実感的に捉えるのはむずかしい。しかし、わたしたちは余りにも、終焉の言説に慣らされすぎているきらいがあるとはいえないでしょうか。いまこそ変化を信じなくてはならない時期なのかもしれません。重たく濡れそぼった終幕を内側から破り捨てて。

 戦後の激動の時代を生きた文学者としてわたしにとってすぐに思い浮かぶのは、三島由紀夫吉本隆明でしょうか。しかし、かれらにとって、変化とはどんなものだったのでしょうか。それを客観的に捉えてみることは可能でしょうか。おそらく真の変化とは、そのうちにある人々の内部そのものをつくり変えてしまうので、事後的な反省によっては掴みえないのではないかと思います。当人にもよく分からない、といった体のものではないか。事後的な整理そのものが変化のうえに行われざるをえない訳です。変化、とは、おそらくそのようなものであるはずだ。歴史とはそのような変化と、つねに不透過な反省との繰り返しの内にある営みではないでしょうか。

 なにもかわらないさ、という言葉は、変わってはならないものを擁護しつつ変化の内に跳躍する場合に云われるものであって欲しい。わたしにとって、その時はじめてその言葉は輝きを持ちます。

 混迷の内にある変化。