朱雀の、啼く

文学と、政治と。

稀薄な関係性の、やはり絶対性であること、等

 わたしは北海道の南の半島部で生まれ育った。

 18歳で初めて北海道を離れ、東京の一隅で暮らすことになったのだが、その時期の青年にはけして珍しくないことだが、成人する前後というのは、自分の置かれてきた境遇に悩み、迷うようなことがあった。たとえば民族性とか、階級性といったことを思っていた。自然すら異なる首都の現代的な雰囲気に触れて、みずからが置かれた社会的な差異性に関して敏感になる、といったこともまた、少しも珍しくはないだろうと思う。だが、では、そこで問われていたことに解答は得られたのか?わたしは甚だ心もとなく思う。人はその種の懊悩を、青年期特有の一過的なものとして、時が経つにつれ、忘れ、あまつさえ足蹴にしたりするだろう。だが、では、解答は得られたのだろうか?

 民族性など、普段の生活において直面することは殆どありえない。それは一部の右翼思想の専売物であるかのように、あるいは、過去の遺物であるかのように感受されかねない言葉であろう。

そのような稀薄な関係性の、しかし絶対的な現実性として常に作動し、露呈すべき機会を窺っている事実については、しかしわたしは目をとざしていたくないと思う。民族性は厳然として存在していて、容易な超克を許さないものだ。自分はそのような関係性から自由だという感覚は、多くの場合錯覚に過ぎなくて、錯覚に呑まれてある者ほど深くその影響を蒙って自覚しない。世界市民といい、インターナショナリズムというものも、それが自己の置いてある関係性をたんに忘却したところで云われるならば、空疎というより滑稽であると思う。

 わたしにとっては、自分がアイヌについて恐ろしく無知であることを恥と感じる。故郷の地名の多くがアイヌ語に起源を持ちながら、その意味するところを知らない。この島にどれだけのアイヌの人々が暮らしているのか、その歴史はいかなる軌跡を画いているのか、存じ上げない。幼少期からアイヌ人への差別的な仕打ちを耳にしてきたというのに。自分が植民地人だという自覚を、意識のほんの片隅においてでしかなくとも持つことができたのは、山口昌男の言説に触れてからだったろうか。差別現象の深さについては、やはり中上健次の読書に依るところが大きかったように思う。そしてさらにいえば、そんなことを知ったり理解したりしたからといって、それが現実の変革に結び付かなければ、たんなる差別者たる個人の僅かに意識における贖罪と救済の物語でしかないのである。

 文学の体験はわたしに何を教えてくれただろうか。おそらくこれを自問しなくてはならないのだろう。

 そうでなければ読めず、書けないような所に自分がいる、そう感じる。そしてこの問いがおそらくは時代的なものである予感を持って、そこにある種のおもしろさを、感じている。