朱雀の、啼く

文学と、政治と。

脆い思想

 雪が、ようやくやみました。朝方から、ずいぶん、勢いよく、降っていました。もうすぐ、積雪になるでしょう。2009年という年も、間もなく終わろうとしています。今日は仕事がお休みで、音楽に耳を傾けたり、食事へ出かけたり、あるいは、八木重吉の詩を読んでみたり、と、穏やかに、過ごすことができました。部屋の模様替えを、いったん終了して、いま、村治佳織さんの、バッハを、聴いています。購入してきた、クリスマスカードが一枚、手許にあります。先日、ぶじに31歳の誕生日を迎えることができました。自分の年齢をかんがえると、唖然としてしまいます。もっと、相応しく、歳を重ねたい、と、思わされます。時間は、零れる砂のように、わたしの掌から、逃れ去ってゆくようです。惜しい、と、思います。折角、あたえられた生命を、浪費することしか、出来ていないように、悔やまれます。生まれること、老いること、世を去ること。そんな根本的な事柄についてさえ、定かには、みきわめられないでいる、おのれのつたなさを、のろわしくさえ、感じます。

 まるで、世界の、うつくしさに目を奪われて、立ち竦んだまま、動けないで、いるかのように。わたしのなかで、停まっている時が、ある。そんなふうに、感じています。絶望もなければ、悲観もなく。まっしろな光が、視界を溢れて。寄木細工のような、脆い思想は、風に吹かれて。眩しさゆえに、何もみえなくて、ただ、あるのは、手さぐりの、感覚だけで。が、いったい、わたしは、いきているのか、しんでいるのではないのか、と、時々、わからなくなります。それは、必ずしも、いやな気分という訳でもなくて。自分が、まったくの、なすすべもない、でくのぼうのように、思われるけれど。しばらくは、このままでもいいと、感じています。

 いまは、時流的なものを追うよりも、寧ろ、立ち止まっていたい。たとえば、のびてゆく自分の影を、測るような。そんな心のもちかたが、自分には、必要であると、感じるんです。単純、素朴なものを、しっかりと抱きしめることが、できているなら、いい。たとえば、愛や、一抹の勇気、など。希望。

 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 (コリントの信徒への手紙 一、13.13)