朱雀の、啼く

文学と、政治と。

断片 1

  stingを聴いている。思潮社の現代詩文庫を何冊かクローゼットから取り出してみる。ページを捲りながら、とりたてて言葉も出てこない自分を訝しく思う。わたしは詩という文芸が好きである。だが詩の言葉の、なんと困難なものかと、改めて思います。ほんとうは、どんな言葉も理解などできやしない。理解したという相互錯覚の上に、成立している意思疎通の貴重さを感じます。綱渡りのコミュニケーション。眩暈を覚えて詩集を閉じる。読みなれた、鮎川信夫の詩集を手に取る。鮎川信夫の詩はどれも、わたしにある奥行きを感じさせる。それは近年の諸氏の作品に感じられる平板さとはまるで異なるもので、それがたんなる個人的な感慨やら、思い入れの深さから来たる錯覚に過ぎないものなのかどうか、判断は控えておく。だが、ひとつの作品がその内に、どれだけ世界の広がりを、宇宙の無限を封じ込めることができたか、そういうことはあると思うのだ。抒情詩として分類されうるようなもののなかにも、わたしはある時宇宙の無限を感じさせられることがあるように思う。それは抒される「情」がたんなる感情の如きものでなく、何らかの人間の特殊な認識経験を成立させる契機でありうるからなのかも知れない、などと、大仰な空想を抱いたりもします。だが、それは空想だろうか。よくわからない。