朱雀の、啼く

文学と、政治と。

断片 2

 現代詩については、学生時代にいちばんよく読んでいたと思う。最近は余り目を通すこともないのだが、それは、わたしのなかで何らかの或るものが、失われているという感覚と深く関係するように思っている。図式的に整理することはさほど困難ではない。ようするに「文学神話」が個人的に崩壊したのであり、それは時代において既に崩壊してあったものを、この私が、個人史において受け入れたときにそのような事態が生じたのだとみることは可能である。文学神話というのは、文学が人間にとって重要な価値であり、社会にとっても、歴史にとっても、ある重要な使命を担っていると考えるひとつのイデオロギーである。わたしはそのような神話の崩壊が自己において既に起こったことをなかなか認められないできたのである。だが、文学を放棄するためでなくよりそれを前進させるために、私はそれをいま認めたいと思う。ところで文学は、様々なイデオロギーの伝播手段としてみることが可能であり、近代文学の大部分は、人間主義ヒューマニズムの伝播に奉仕してきたものだと整理できる。無論なかには、宗教の伝播や、マルクス主義プロパガンダ、その他さまざまな思潮の伝播ということも含まれはする。しかし総じてそれらは、ヒューマニズム即ち人間解放の思想を共通の基盤として行われてきたのである。そしてヒューマニズムの時代は、この20年ほどでいよいよ終焉を迎えたのであって、文学の衰退は根源的にはここに原因を持っている。 だが私は、ヒューマニズムを端的に「否定」するつもりも、それを乗り越えるなんらかの積極的なイデオロギーに与する意図も持っていない。いま言えることは、わたしは文学のための文学には何ら関心がないし、衰退した文学の諸形態へ関心を移すよりは、ある喪失感とともに内なる棘のように胸につかえている、或る私的な違和感のほうに賭けるような形で、創作に関与していきたいということである。