朱雀の、啼く

文学と、政治と。

断片 12 (現実)

 思考を拘束する、「現実」という言葉の呪わしい魔力には、いつも抵抗していたい、と、思う。「現実」なるものは、誰もが私有することのかなわない、「真理」のようなものなのだが、時に、説得のためのレトリックとして、この言葉が用いられることがあるからだ。多くの場合、その「現実=真理」を、とうの本人は信じきっている訳だけれども、自らが信じているに過ぎない私的な「真理」を、万人が当然共有しているべき普遍的なものとして押し付けるような効果が、「現実」という発話には、いつもつきまとっている。誰も現実を私有することは許されていない。それは「真理」と等しく、ひとつの「理想」なのである。自覚的に、レトリックとして用いているならば、まだ救いがある。だが、本質的に、理想であるところの「現実」という観念を得意げにふりまわす人々は、このような、現実という言葉の観念性に無自覚なのである。理想と現実、という二分法は、それ自体、観念に過ぎないのだ。理想を欠いた現実も、現実を欠いた理想も、ともに、無ー意味である。