朱雀の、啼く

文学と、政治と。

近況

よく晴れた日です。雪と青空の対照がうつくしい。のんびりと休日を過ごしています。

 最近は、「現代詩フォーラム」に、実に無責任な調子で散文を書いて投稿しています。内容は、マルクス主義の概観。といっても、ほんの触り程度の纏めに過ぎません。東欧・ソ連社会主義国家の崩壊、冷戦終結以後、現在に至るまでの間に、マルクス主義をめぐる知識はすっかり失われてしまった。その事実は人々にとってけして益とはならないと思うのです。たとえそれが失敗に終わった壮大な社会実験であったとしても、我々は失敗した実験から次の前進を成功させるための豊かな知識をうるように務めるべきだということは明らかなのですから。マルクス主義の忘却は、歴史的過去を見失うことしか結果できないと思います。勿論、成立したいわゆる「社会主義国家」の崩壊が、理論およびイデオロギーの完全な錯誤を意味しないことはいうまでもありません。今の世界に必要なのは明確な理想と前進の覚悟ではないでしょうか。「歴史の終焉」ということも、かつてはいわれましたが、そのような楽観論は、米国同時多発テロを引き金とした一連の戦争、最近では中東における反体制運動の勃興が、厳しい現実を以て退けています。世界の歴史は今後どんなふうに変化し、発展していくのでしょうか。その答えは誰も持っていませんが、大切なことは、私たち一人ひとりが、歴史形成の主体であり、どんな紆余曲折を経ようとも、私たちこそが、理想に従って世界を歴史を導くのだという気概ではないでしょうか。人間の本質は自由にこそ有るのだと私は信じています。もし歴史が我々を奴隷のように屈従させるならば、歴史という敵と我々は戦わなくてはならない。勝利して理想を実現しなくてはならない。我々の恣意でなく、理想ないし理念というものが我々をしてそのように運命づけているものとわたしは信じています。具体的に国家を、社会を、どんなふうに変革をすべきかの明確なプランが私にある訳ではありません。そんなお手軽な理論など存在する筈がない。私はマルクス主義者ではありませんし、マルクス主義がそんなお手軽な理論だと思ったことはない。わたしが信じているものは人間の本質としての自由であり、現存する社会体制に対しての感性の否定の声に過ぎないといってよいかも知れない。しかしこれが充分な土台をなしているともまた、私は信じます。かつてマルクスが追い求めた自由の国がこの世界についに実現されるまで、歴史的闘争の止むことはありえません。