随 想 2

・決して多いとは言い難い中上健次のテクストのうちで私にとって特に感慨深いのは、「近代日本文学の金字塔」などと称揚される事の多い「秋幸三部作」ではなく、「化粧」「熊野集」「千年の愉楽」「奇蹟」といった短編連作の系列である。「秋幸三部作」には、「日本の近代文学総体に対し内在的に戦わなければならない」といった作家の意識的な(ある意味では通俗的な)戦略(デリダ柄谷行人に共有されていた時代的課題)が透けて見えるが、その歴史的意義には既に疑問を付さねばならぬ時代を日本の文学は迎えているように思え、古典作品を本歌取りしたような短編連作のなかでこそ、よりラディカルに作家の「物語批判(蓮實重彦)」が余裕すら感じさせる筆致によって展開されているように感じられるのである。

 ところで「秋幸」の名を幸徳秋水の名からの採取であると絓秀実は指摘しているが、聊か眉唾の感を拭えない。いや、その上で「野坂昭如」や「秋の雪」といった参照項もあり得るし、文学の神髄を「詩」に見据えていた作家は当然の如く、それら語群の焦点に命名の視座を設置していただろうことは想像に難くない。

 中上の短編連作が秋幸三部作を凌ぐ歴史的価値を有するという判断は、近代文学の終焉を経た現在であるからこそ訴える意義のあるそれ自体歴史的有限性のなかの認識たらざるを得ないだろうが、物語の歴史のなかで近代文学=小説とは、さほど自明な価値を有していたとするのは速断の誹りを免れないという思いにも依る。中上にとり物語批判が一貫した主題であったことは、初期のギリシア悲劇の引用を参照するだけで充分な根拠を得ることができるであろう。近代の小説的意志が一定の物語批判でありえたとしても(セルバンテス)、中上には生温いものでしかなかった。三島や大江への批判などではなく、天皇制を無限遠点とした日本の古典文芸の精神こそが、中上が対峙しなくてはならない文学的運命だったのである。