随 想 6

志位和夫「綱領教室」第三巻、民主主義革命路線の解説。<安保>と<大企業支配>が日本民主主義の二つの異常をなしているという分析は直観的に理解し易いが、これを理論的に証明するとなるとそう容易ではない。そもそも民主主義革命が必要である民主主義国家とは何を意味しているのか、日本は事実、民主主義国家と規定しうるのかといった疑問が浮上する。異常な民主主義を正常な民主主義にするために革命による権力委譲が必要である、というのは理解しにくい。いわば半民主主義国家、乃至形式的民主主義国家というように理解すべきなのだろうか。今後の学習の進展のなかで明らかになるだろうが、異常状態にある民主主義国家として日本の国家体制を規定するにしても、例えば、<民主主義は革命によって獲得される必然性を有する体制である>という民主主義理解も強ち誤りとは言えないように思う。敗戦と米軍占領とを民主主義革命と呼ぶ事はできない(八月革命説)。革命を経ずに外国からの武力を背景とした勧告と国内の民主主義運動と国民要求の合力として戦後民主主義が存するとするならば、その民主主義はなお本質を欠いた、空虚な民主主義に過ぎないことになる。そこでその空虚に実質を満たすために必要な国民的行動が、民主主義革命であるという理解が脳裏を過る。講座派と32年テーゼにも関係する。勿論、戦後日本の民主憲法の制定過程が本質的に日本人を主体としたものかGHQを主体としたものかという憲法論議にも関係するが、民主主義の根拠は人民そのものに存する。強制性や外的事情がない限り、人民は常に民主主義を意志するものと考えるべきが民主主義であるとも言えるだろう。