朱雀の、啼く

文学と、政治と。

唯物論と信仰】

唯物論は一般に信仰や宗教的世界観を拒絶するし、唯物論を巨悪として拒絶する宗教は非常に多い。だが、ごく自然に捉われなくこの思想史的な推移をみつめるならば、この世界から宗教が根絶される事も、唯物論が根絶される事もありえないだろうことは誰でも容易に推測できるだろう。宗教は殆ど人類史と同じ起源を持つと思われる。20万年前のムスティエ文化(ネアンデルタール人)に既に死者の埋葬の習慣が発見されている。一方で唯物論は、それを哲学的な世界観としてではなく、「民衆の素朴な世界観」として考えるなら、やはり同じ歴史的伝統を有するだろう。共に、文明の根源をなす世界観であって、人間が二足歩行を止めたり、食事の習慣を失っても、宗教も唯物論も根絶されることはありえないと推測されうる。であるならば、互いに教化や排除に勤しむよりも、共生の道を探ることが賢明であろうと私は判断している。中国における宗教弾圧を見るにつけ居た堪れないのは、ソ連崩壊後、旧ソ連地域に宗教が爆発的に復興し、また宗教弾圧の陰で信仰をひっそりと守り続けていた民衆の存在が明らかにされたにも関わらず、唯物論を「科学的真理」とみなす固陋さが、同じ過ちを繰り返しているように見えるからである。そもそも、一つの「科学」体系なり思想体系なりを絶対化し、異論を権力で弾圧する態度は、いささかも弁証法的でないし、また「科学的=相対的」でも「民衆的=流動的」でもないと言わねばならないだろう。その点で、日本の共産党の、「信教の自由を擁護する」綱領的立場と一点共闘戦術に基づく宗教者一般との連携は、心から支持したい。科学哲学を引用せずとも、「科学的真理」とは「相対的真理」でなくてはならず、絶対性こそ科学の目が厳しく戒めるものでなくてはならないのである。