民主文学3月号。田島インタビュー感想。

文学精神、という言葉で私が考えるのは、言語的コミュニケーションの主体としての精神という、第一の素朴な意味である。

聞き、話す主体である私。私の内部の、聴取する私と発話する私の主客分化。外的コミュニケーション=外的反省と、内的コミュニケーション=内省。

こういう「言葉」の行為により精神が生まれ、精神活動の成長により、言葉は豊かになる。

寧ろ文学こそ、あるいは言葉こそ、精神の故郷である。唯物論は一般に、経済や物質代謝の本質性を強調する余り、時に精神を後回しにする傾向があるかも知れないが、言葉は精神の経済である、という観点も常に重要ではないか。