朱雀の、啼く

文学と、政治と。

ある本質感情

理性や感情に関してヘーゲルの観念論哲学をカントらと比較するとヘーゲルの感情重視は明瞭であり、ロマン主義的な時代的背景とも無縁ではないと推察しうる。理性はヘーゲルにとって感情を排除したものではなく、感情が完成されたものだ。ある本質直観、本質的な感情について反省せねばならない個人的欲求を感じている。ヘーゲルの場合はまさに「直観」の批判が問題だった。直観されたものがロマン主義的な「故郷」と如何に関係するかを問うならヘルダーリンの問題になる。多分この本質感情を政治の領域で目的とする時に私はまさに危険、ナチズム的な危険の中に入る。ナチズムのヘーゲルロマン主義への傾倒には根拠があるのだ。だがリスクのない思考に何の意味があるだろうか?