朱雀の、啼く

文学と、政治と。

12.20

民主文学の非公開メーリングリストに投稿した報告。

 

"民主文学千葉支部定例会(12月)に参加しました。

乙部宗徳さんの「文学作品から見る『改憲』草案」の、評論家ご本人による解説と討論を行い、有意義でした。個人的には特に、沖縄と韓国の日本「本土」との歴史的関係性における共通性をめぐる議論、なぜ韓国と沖縄は政権と真正面から戦うことができ、一方で、日本の「本土」はうまく戦えないのか、というイシューが興味深かった。特に天皇制の象徴としての存続に対し、沖縄と韓国で、王権が根こそぎやられたことと、ナショナリズムの在り方、内容の関係、抵抗するナショナリズムの有無と程度。歴史的に翻弄され、つねに大国に左右される運命、近代戦争の肉体的な経験、苦痛。また象徴天皇制はアメリカ支配という現実を隠蔽する想像的なアイデンティティとして機能してないか、など。また、人権思想や社会契約説は日本に土着化していると言えるのか。ホッブズやグロティウスだけでなく、ローマ法やギリシャの法にまで遡行して普遍性を考えてみるべきではないか。などなど。"

目的が実現できていない限りは、我々は失敗し続けている。負け続けている。従って、目的が実現されるその時まで、常に改善の余地があり、議論の余地があるのである。もちろん目的とは理念であり、世界平和である。

主観的には様々な目的を、理念を人は懐きうる。しかしどんなに主観により歪め、捻じ曲げようと、あらゆる人間の目的は世界平和なのである。それが世界に巨大な流血を齎そうとも。誰もこの理念からは逃れられない。理念とは、そういうものだからである。