2009-01-01から1年間の記事一覧

脆い思想

雪が、ようやくやみました。朝方から、ずいぶん、勢いよく、降っていました。もうすぐ、積雪になるでしょう。2009年という年も、間もなく終わろうとしています。今日は仕事がお休みで、音楽に耳を傾けたり、食事へ出かけたり、あるいは、八木重吉の詩を…

ヘーゲル 2

「キリスト教の精神とその運命」第2章、イエスの登場。ここから、聖書の記述に即して、ヘーゲルのイエス観が開陳されています。ここでは「実定性(既成性)」なる概念がキーワードになっている。ユダヤ教のいわゆる律法主義と、当時、広く名声を博していた…

ヘルダーリン 2

当たり前だが、仕事を終えた後に読書をするのはなかなか厳しいものがある。今日はヘーゲルとヘルダーリンに関する論文を検索して読んでみた。ヘルダーリンの詩は古典主義からロマン主義に転ずる過渡期にあって、そのいずれに属するとも判別しがたい独特の様…

ヘーゲル 1

気候の変化の影響か、知らず知らずの内に疲労が溜まっていたものか、おそらく両者なのだろうが、数日前から再発した腰痛が、よくない。椅子に腰かけて読書ができないのがつらい。今日はヘーゲルを読んでいた。「キリスト教の精神とその運命」である。第一章…

ヘルダーリンを読みながら

岩波文庫、川村二郎訳、ヘルダーリン詩集。川村二郎は、先日偶然にひらいてみた30数年前の詩誌において、天沢退二郎と対談し、詩の現状についてふれ、「フォルム」の欠如、乃至、崩壊について発言していた。現時点からふりかえってみて、実に正鵠をえた指…

無神論の意義

amazonでオーダーしていた2冊が、ようやく届きました。辺境の小さな町で暮らす身には、通信販売の発達は誠に悦ばしい。だが、池袋のジュンク堂、リブロ、もはやないが、ぽえむ・ぱろうる、それに早稲田の古書店街が無性に懐かしくなる時がある。まァ、また…

その雪に、さわれない

雪が降っている。昨日の明け方から降り始めたのは仕事中だったので確認したが、まさかもう積もるものだとは思っていなかったので、真っ白く雪化粧をした窓の外の光景には驚かされました。まだ、自動車のタイヤを冬用のものに交換していないのが聊か気がかり…

memo

現代詩とポエム、なる対立概念を用いることに、どれほどの意義があるだろうか。それは寧ろ、真の対立を覆い隠す幻想ではないのか。ポエム、は、現代詩の主流を自認する立場からの蔑称である。だが、「現代詩の主流」とは何か。そんなものが実在しているのだ…

デザインを変更してみる

衣替えにはまだ幾分気が早いけれども、ブログのデザインを変更してみました。精々、月一回から数回しか更新できていない寂しいわたしのブログではあるけれども、見栄えというのはやはり気になる。ずけずけと書いてしまうが、わたしはそれほど他者のブログを…

今日は涼しくていい日です

自転車屋さんへ赴いて、二年ばかり使用していなかった自転車のタイヤに空気を入れて、しばらく町中を疾走していました。風が柔らかくてとても気持ちがよかった。先日、図書館から借りてきた、谷川俊太郎の詩集をざっと眺めてみる。どうしてもわたしは、若い…

近況など

調子がいいのかわるいのか、音楽ばかり聴いています。勤務時間以外はほとんど部屋にいて音楽に耳を傾けていて、他に特に何もしない。十代の頃のようにひたすらに聴いている。二十代は余り音楽に熱心でなく、「音楽断ち」と称してオーディオのスイッチを押さ…

鶴田知也 「べロニカ物語」、

を、町立図書館で読んだ。川村湊は解説で、(中上健次の)「紀州サーガ」に倣って八雲サーガと呼んだらどうか、等、書いているが、これも鶴田知也の「八雲もの」をなすというべき一作である。 けばけばしい脚色は一切ない。この八雲の地に、野生のべロニカが…

おはよう、おやすみ

夜勤明け。今朝は幾分過ごしやすい天気です。まだ早朝は肌寒かった。いつも夜が明けていくのを、道端にすわりこんで煙草を吸いながら眺めています。空の色調の移り変わりがうつくしい。そういえば子供の頃、海沿いの国道を走る自動車のなかから暮れてゆく海…

呟き

しかし、暑い日です、夜勤明けで今夜も夜勤だから、眠らなくてはならないのだが、この暑さではうまく眠ることができない。iTunesから、村治佳織のクラシックギターが流れている、サティが心地よい、ピアノのような重さがなくて子守唄には丁度よい。音楽はい…

読書

町立図書館にて、鶴田知也、佐藤泰志、それにアイヌに関連する社会学のテクスト等、目を通す。雨、風は湿っているが心地よい。図書館はこの町にはめずらしく現代的な佇まいをしていて、その中にいても外で煙草を吸っていても気分が和らぐ。雨が、図書館前の…

稀薄な関係性の、やはり絶対性であること、等

わたしは北海道の南の半島部で生まれ育った。 18歳で初めて北海道を離れ、東京の一隅で暮らすことになったのだが、その時期の青年にはけして珍しくないことだが、成人する前後というのは、自分の置かれてきた境遇に悩み、迷うようなことがあった。たとえば…

鶴田知也をよみながら

鶴田知也「コシャマイン記」、それに幾つかの短編やエッセイ等に目を通す。鶴田は1902年、福岡県に生まれ、(現在の)東京神学大学在学中の1922年以来、この八雲をたびたび訪れているようだ。幼い時からその存在は知っていたが、作品に目を通したこ…

自問のための、memo

ある種の時代的な風潮のなかにおいては、それがアナクロニスムの響きを有してしまわざるをえないことは覚悟の上で、わたしには敢えて用いてみたい幾つかの言葉がある。 理想、というのがそれだし、マルクス、共産党/共産主義、マルクス主義というのがそれで…

最近のニュースで、

気がかりだったのは、マイケル・ジャクソンの訃報、選挙関連のものかしら。 マイケル、わたしは「Human Nature」という曲がなんといってもお気に入りだった。 それに、やはり「we are the world」です。 どちらも素晴らしいの一言に尽きる。スリラー、は、小…

久しぶりに、

ブログを書いてみる 最近読んでいるのは、マクグラス、アリストテレス、倉田百三。 倉田百三は存外に面白かった。どうしていままで読まなかったかと後悔させられた。おそらく第二次大戦中の政治的態度の問題から、余り読まれなくなったのではないか、と、推…

メモ

たとえば、テロリズム概念の安直な適用、また、テロへの条件反射的な忌避、恐怖、こういうものへの嫌悪感について書きたいと思っている。 また、希望はあるということ。また希望は持たなくてはならないものだということ。それが大前提であること。 目的観念…

ありがとう、キヨシロー

忌野清志郎がしんだ。昨日、朝の、某スポーツ新聞の一面でその事実を知って愕然とさせられました。中学生以来、折に触れてはその歌を口ずさんできました。紙面を目にして、否がおうにも、「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞が口をついて出ました。ロックアーティスト…

メモ、現在の文芸が喪失しているものについて

いや、それを喪失と呼ぶことは、聊か適切さを欠いた身振りであることを、まずは反省しなくてはならないと思います。喪失の言説、空虚の言説が、いかほど私たちから力を奪ってきたことか。それは、私たちが意識的に抵抗すべき、いわば時代的な言説に他ならな…

メモ、石原吉郎について少し

変わるものと、変わらないもの。石原吉郎を読んでいると、わたしたちの日常生活の節々と、苛酷なシベリア抑留体験とが、ある連続性を持ったものとして見えて参ります。それが如何に神話化されていようとも、わたしたちは人類的な体験を単に特異なものとして…

インターネットにおいて書くこと

何かを書き記しておきたい、という欲求があって、一方では、何を今更書こうというのか、という諦めに似た思いがあり、その二つの傾向のあいだを振り子のように揺さぶられながら、わたしはこのブログを綴ってきたし、これからもそうだろうと思います。インタ…

テスト

テスト

高専の頃までを、少し

もう長いことギターに触っていない。また、復活させたいと思う。 わたしには小さな和太鼓の楽団をやっている兄がいて、日常的に音楽に携わっているかれが少し羨ましく感じられる。ひのき屋、といって、CDも発売している。ヨーロッパ、アジア、南米、各地を…

健康について、その他

最近は比較的に調子が良いらしいです。ものを考えるようなことがどうにかできているみたい、できそうだ。病気のせいかそういうことが非常にむつかしい時期を行ったり来たりしています。抽象的思考の困難というのは云われているようなので。病気、と、ひとく…

よむこと

熊野大学にはいったことがない。どんなものか体験してみたい。いつか、そんな日が来るかな。中上健次には思い入れがありすぎる。文学の体験といって思い浮かぶのはやはり中上です。自分の幼年期の光景に思いを馳せざるをえないのです。文学の体験は、まさに…

追記

荒地にせよ白樺にせよ、そもそも文学運動というのは、非商業的な同人誌を媒体としてなされてきた歴史がある訳で、あるいはもう一度そういう原点に立ち返るべき潮時なのではないか。賞をめぐるシステム性への無自覚な依存は不毛なところにしか我々を導かない…