2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

よむこと

熊野大学にはいったことがない。どんなものか体験してみたい。いつか、そんな日が来るかな。中上健次には思い入れがありすぎる。文学の体験といって思い浮かぶのはやはり中上です。自分の幼年期の光景に思いを馳せざるをえないのです。文学の体験は、まさに…

追記

荒地にせよ白樺にせよ、そもそも文学運動というのは、非商業的な同人誌を媒体としてなされてきた歴史がある訳で、あるいはもう一度そういう原点に立ち返るべき潮時なのではないか。賞をめぐるシステム性への無自覚な依存は不毛なところにしか我々を導かない…

現代詩の卵について

とにかく、いい現代詩の作品をよみたい、という欲求に、いつの頃からか取り憑かれたようになっています。それも、戦後詩の歴史を刷新するような斬新な形式を備えたものを。これは実現不可能な欲求なのだろうか。文学史的な理解は、それは不可能だよとわたし…

変化について

* おおきな時代の変化のうちにある、とはどういうことだろう。ここ30年近く、この国は諸方面において相対的に安定した時代だったと云えると思いますが、変化の経験についての貧しさが、変化を敏感に察知することを困難にする傾向というのはありうるかも知…

忘却についてのつぶやき

* 現在は過去の様々な経緯のうえにあるのだが、後にくる世代は過去の経緯を、とりわけ近い過去の経緯を無視しがちな所があると思います。この現在が、先行世代の努力や経験の先に構成されているということです。未来への熱望から過去を閑却する身振りならば…

猶も、存在し続ける根拠

「現代詩手帖8月臨時増刊 吉本隆明」(1972、思潮社)に所収の幾つかのエセーを読む。当時の状況的な知識を充分に弁えていないので、その理解には自ずから限界が生じざるを得ないのですが、詩人としての吉本隆明の像をいくらかでも明瞭にすることができる一…

物語

* オイディプスの劇はさながらある人間の普遍性を示しているかのようです。だが、フロイトの説明は殊更に必要がない。虚心に読めば、そのことが得心されるはずである。盲目となることが市民的であることだ、という示唆がそこにはある。盲目となり、子供に手…

奇妙な光景

* 長い間にわたって躁的な光景が広がっていたが、最近の不況のニュースが人々をして我に帰らせているように見える。だとするならば不況のニュースも薬だろう。問題は、そのなかで苦しむ人々の救済に、社会の覚醒は精々の所ずっと遅れて手を差し伸べるに過ぎ…

読書遍歴

* わたしが文学作品に開眼させられたのは、小学生の時に入院先の病院のベッドのうえで読んだ夏目漱石の経験であったと思います。「坊ちゃん」。畳みかけるような文体に、子供ながら刺激的な読む楽しさを覚えていました。それから、中学生の時には、日本文学…

( 空虚について )

* わたしには思想状況について書くことはむつかしい。現在ある状況は思想状況として取り扱うことが非常に困難であるという認識があります。ゼロ年代というような概念があって、それはそれなりに正鵠を射ているのだと思います。しかし、それを分析する立場と…