2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

断片 8

しずかな休日である。晴れていて風もあたたかい。窓からは、踊るように、傾いた西日が入ってくる。今日は、谷川俊太郎の詩集、石原吉郎の詩集、聖書、讃美歌集などをひらいては、茫然と眺めていた。讃美歌集の詞の言葉は、素朴ながら、ただ眺めているだけで…

断片 7

かつてロンドンにおける講演会で、ステファン・マラルメは、フランスにおける詩の定型からの解放の始まりを、ふかい驚きをもって伝えていた。それから100年以上の時が過ぎ、日本においてさえ現在では、詩とは一般に自由詩を指し、定型詩の試みはいずれも…

断片 6

アナーキズムに対して、さしたる理論的な関心はない。というより寧ろ、大杉栄にもクロポトキンにもバクーニンについても、わたしは殆ど知識を持たない。だが、近代文学にとってアナーキズムの様々な形態が果たした役割は、けして看過できないものがある。既…

断片 5

一方で私には、詩が何か高等な技芸であってたまるか、というような思いもまた、ある。飲みながらの愚痴、便所の落書きにこそ、詩の根源があるとするべきだ。そこからゆくと、現在の詩の書き手というのは、自由な心の領分すら、何かしら外的な秩序の拘束のも…

断片 4

殊更に、詩という、たかだかひとつの文芸ジャンルを祭り上げるつもりはない。だが、そこには、われわれの「心」の問題が依然として横たわっているのである。だから私はそれに拘泥する。いかなる発展もまたいかなる歴史的悲劇も、もしそれが人の「心」の問題…

断片 3

時代は確かにニヒリズムのものである。核心にある空虚を隠蔽するための笑顔が溢れている。おそらく、諸家が指摘する通り、それはかつてニーチェが、あるいはフーコーが予め指摘したような人間の没落の時代なのだろう。わたしはニヒリズムの徒でありたいなど…

断片 2

現代詩については、学生時代にいちばんよく読んでいたと思う。最近は余り目を通すこともないのだが、それは、わたしのなかで何らかの或るものが、失われているという感覚と深く関係するように思っている。図式的に整理することはさほど困難ではない。ようす…

断片 1

stingを聴いている。思潮社の現代詩文庫を何冊かクローゼットから取り出してみる。ページを捲りながら、とりたてて言葉も出てこない自分を訝しく思う。わたしは詩という文芸が好きである。だが詩の言葉の、なんと困難なものかと、改めて思います。ほんとうは…