朱雀の、啼く

文学と、政治と。

奇妙な光景

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長い間にわたって躁的な光景が広がっていたが、最近の不況のニュースが人々をして我に帰らせているように見える。だとするならば不況のニュースも薬だろう。問題は、そのなかで苦しむ人々の救済に、社会の覚醒は精々の所ずっと遅れて手を差し伸べるに過ぎない所にある。社会は犠牲の上に成り立っている。そしてその事実を隠蔽しようとする。絶えまなく犠牲を強いる社会構造と、そのなかでかろうじて営まれている市民的な、つましい日々の暮らし。

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 不況が戦争による解決に出口を求めるだろうことを警告する論者も少なくない。多くの人々は薄々、そのような過程に自らが加担していることに気がついていながら、何も知らない風を装って、自己の暮らしのなかに沈潜をし続けようとする。いつだってそうだったのであって、殊更にま新しい現象ではない。それが必要なら無知蒙昧を装いもし、悪逆非道も必然とする。「時間がすべてを解決する」という民衆の知恵が常に有効に機能するのであるから、不都合は忘れてしまえばいい、あの時は仕方がなかったのであって、自分は悪くない。そのようにして、集団自決も慰安婦問題も、歴史の大きな流れの外側へと押し流してしまおうとするだろう。

 アフガニスタンの経験は、イラクの経験は、歴史によっていかなる審判を下されようか。それは、我々が進む未来に関わる問題である。未来へと歩みを進める我々の為に歴史はあり、審判を下すのは私たち自身の他にはいない。