鶴田知也をよみながら

 鶴田知也コシャマイン記」、それに幾つかの短編やエッセイ等に目を通す。鶴田は1902年、福岡県に生まれ、(現在の)東京神学大学在学中の1922年以来、この八雲をたびたび訪れているようだ。幼い時からその存在は知っていたが、作品に目を通したことはなかった。町から徒歩で30分ほどか、農地を山の方へと入っていくと、鶴田の文学碑が建てられており、小学生の時分など、遠足としてそこを児童みんなで訪れることがあったが、その頃の学校の先生は、これを「歴史小説」と呼んでいたように記憶している。まあ当たり障りのない表現といったところか。葉山嘉樹と共に活動したプロレタリア作家、などと説明しても、地元の小学生に、ピンとくる筈がない。文学碑が建立されている一帯を、「ビンニラの丘」と称することも今回初めて知った。

 コシャマインの作中にも舞台となる、ユーラップの流れの辺に碑は立っている。「不遜なれば未来の悉くを失う」、と、そこには記されている。

 それにしても、「文芸戦線」のようなプロレタリア文芸の雑誌を発表媒体とし、組合運動などにも深くかかわった人物の碑を目指して小学生に遠足をさせるとは、さすがは北教組、というべきか。

 作品は、いわゆるプロレタリア文学の小説群とは、内容的にも文体的にも性格を異にしている。叙事詩的、という形容はまったく似つかわしく思われる。聖書文体、などとも評されていたようだ。たしかにその趣はある。わたしが魅力を感じてやまないのは、そこで示唆されるアイヌの人々の生きる神話的世界とでもいうべきものだろうか。主人公たちの生きる世界と神話伝承の世界との間を隔てる垣根がないように描かれている。生活が神話であり神話が生活であるような世界が垣間見えるのである。これは、ずっと後になって、中上健次がある形で再現を試みた世界に通じる所があると思う。中上のそれに比べて鶴田の神話的世界は遥かに、いわば禁欲的であることが特徴となっている。そこが清潔でいい。様々な事情はあるだろうが、鶴田は中上とは異なり、外来の知識人である。侵略する民族に属している。そこでは文体の段階においてすらある種の、「かくことの倫理性」が問われる。それが結果として、きわめて乾燥した、聖書的とも呼ばれるような叙事詩的文体を採用させたとしてなんら不思議はない。

 けして華々しい活動を展開した作家ではないが、その意図するところは現在の問題意識にも通じるところがあると思う。現在なお、北海道侵略の問題は尾を引いているのだし、ポストコロニアルな世界における民族性の在り方についての諸問題は、世界的な課題をなしていると思う。この小説はそのような問いかけに答えるものではないのだが、自己の属する現代性なるものを相対化する形で再認識させるような効果は有しているように思う。もうちょっと、読み進めたいと思っている。

佐藤泰志も併読しているのだが、思いがけず、福間健二が解説を書いている。こちらもすこし突っ込んでみたいと思う。

鶴田知也、は、キーワードに登録されていない。簡潔ながら登録し、記させていただく)