朱雀の、啼く

文学と、政治と。

呟き

しかし、暑い日です、夜勤明けで今夜も夜勤だから、眠らなくてはならないのだが、この暑さではうまく眠ることができない。iTunesから、村治佳織クラシックギターが流れている、サティが心地よい、ピアノのような重さがなくて子守唄には丁度よい。音楽はいい。書かなくてはならないこと、話さなくてはならないことは沢山あるように思えます、誰に宛てるともなく、だがなかなかそれが言葉にならない。それを言葉にしていく作業は、詩作そのものではないにせよ、詩作と深く関わりがあるように思えるから、詩をかきたいのだが、なかなか興が乗らない。だいたいわたしには詩をかく習慣というのは本来なかった。ただ読んで憧れていたに過ぎない。で、書かないながらも詩についてはずっと思い巡らしてはいた。書かなかったのは準備が足りていない、という自覚があったからでもある。光太郎や三木露風や、朔太郎あたりからの近代詩はおおまかにでもその心を自分なりに掴むことが可能だった、古い和歌俳諧の類についても読んで愉しむことができたのだが、戦後の所謂現代詩については心許なかったのである。で、いまだに荒地とその周辺、それに谷川俊太郎など幾人かの詩人の作品を除いて、現代詩と称される多くのものについて、わたしは読めていないというか、余り読む気がないというか!不遜だが正直な所であり、それで構わないんじゃないかと最近は真剣に思っている。古めかしい、19世紀的な例えを持ち出すなら、パルナシアンと象徴派の祖ら、との対立におけるところのパルナシアン的なところへ現代詩は到っているのだと思ってきた。それは第一印象なんだが、いまだにその印象が裏切られることは残念ながらないのだ。だってそうじゃん、としか言いようがない。以上、携帯より


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