朱雀の、啼く

文学と、政治と。

断片 11 (土地)(みえない核)

 15歳までは、この、八雲の地で過ごした。学校の関係で、函館市に移り、そこで3年間を送って後、東京で暮らし始めた。

 東京には、10年ほどはいたのだろうか。大学生活をそこで送り、その後、様々な出来事を経験した。再び、八雲の地に帰省して3年程になるだろうか。わたしの故郷の土地は、ほとんど何も変わっていないように見えた。ただ人々だけが、変わっていた。少年であり少女であった、友人たちはそれぞれの仕事に励み、あるいは家庭を形成し、わたしのように土地を離れて帰ってこない者もあれば、それぞれの事情から、帰ってきた者もまた、ある。

 外地、植民地である所の、北海道の歴史は浅い。開拓者たちもまた、それぞれの事情から、父祖伝来の土地をはなれて、この島へと集まってきた。開拓当初の人々は、半ば共産制的な生活をおくっていたものと描き出す者もいる。さまざまな人々が存在したであろう。武家の流れ者、耕地を求めてやってきた農民、流刑者、新たな土地に夢を抱く商人、逼迫する生活のなかに慰めをあたえる宗教家たち、等々。いったん、土地を離れたことによって、見えてくるものもあれば、それによって見失うものも、ある。現にいま、私は、自分自身を、いづれかといえば、漂流者のように感じている。どうやら、土地から生えていた所の根は、東京での生活のうちに、すっかり取り去られてしまったらしい。もとより、大した根ではないのだ、そう自嘲する。それもまた、わるくない、と、いま、身震いするように、私は感じている。

 文学と土地、というようなことを思うのは、おそらく、中上健次の影響であろう。中上は路地という自らの土地の消滅以後、基本的には、主題を見失う他なかったのだと思う。無論のこと、それは、ひとり、中上健次だけの問題ではない。近代文学の総体が直面した、歴史的現実である。別の形では、三島由紀夫もまた、同じものに直面していただろうことは、想像に難くない。三島にとっての愛国の対象は、中上にとっての路地である。そのいずれをも押し流してしまうような洪水が、戦後の世界において発生した、と、いうことであろう。

 「原点が存在する」、と、かつて、詩人・谷川雁は、書いた。(「……下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちる所へ、そこに万有の母がある。存在の原点がある」)谷川雁にとっての<原点>=「瞬間の王」を殺したものもまた、この洪水と、無関係ではないように感じる。いろいろな角度からそれは、追究されることができるだろう。曰く、オイディプス神話の崩壊、金本位制の終焉、冷戦構造、「封建的残滓」の一掃…。

 <土地>との関係を問う、そんな必要を感じざるをえない。土地は原点であり、「万有の母」であり、そこは愛すべき国であり、猥雑な路地であろう。土地を問うことは、母を問うことであり、家族を問うことである。北海道の、この町の風景は、私に、得がたい安らぎを与えてくれると同時に、もはや風景と同一化することの叶わない、過剰であり浮遊する存在である自己の形態について、嘆かわしい思いにもまた、させてならないのである。「貧しきものは幸いである…」そんな声が風に乗って、わたしを慰撫しさえする。

 私にとって、いま、時代の本質は、幾重ものベールに覆われてあるように感じられる。漂流者、と、私は書いたが、本質的には、誰もが「土地」を奪われているのが、この現代である。殊更に、デラシネに意味をあたえる理由もないほどに、人々の流民化=植民地人化は普遍的な現象となっている。万国のプロレタリアートではない、万民がプロレタリア化しているのである。階級としてのブルジョワジーは存在しても、その姿態は、プロレタリアートのものとなっている。そして、真綿で締め付けるような平和の仮象、みえないところで蠢いている、核兵器の持続がある。これらの薄暗い、乃至は、ほの明るいベールを一枚一枚剥いだ先に、「時代の本質」は、果たして見えてくるのだろうか。それが、空虚という本質、でないとしたら…。

 いまほど、<敵>が、見えにくい時代はかつてなかったろう。ヒトラースターリンも、今やない。残酷無比で公害を垂れ流す資本家もなければ、無神論の迫害者たるコミュニストの姿もない。これは、いわば、終末的な平和への一段階ではないのであろうか。歴史は猶、終焉してはいないが、時代の<敵>は、「テロリスト」などではない。そのような「仮想敵」のベールに隠された、我々の敵の実体は何だろうか、どこにそれは求められるのだろうか?聖書が語るところと、ニーチェが描き出した終末観と、二つながらに、今、わたしの眼前に展開してあるように、私は感じている。

 「汝の敵を、愛せ」