ヘーゲルの大論理学下巻には以下の記述がある。(第一篇は主観性)。

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ヘーゲル大論理学 第3巻 主観的論理学または概念論

第二篇 客観性

第一章 機械観

A.機械的客観   B.機械的過程 

a 形式的な機械的過程 b 実在的な機械的過程 c 機械的過程の成果 

C.絶対的機械観 a 中心 b 法則 c 機械観の推移

第二章 化学観 A.科学的客観 B.化学的過程 C.化学観の推移

第三章 目的観 A.主観的目的 B.手段 C.実現された目的

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第三篇 理念 第一章 生命 A 生命的個体 B 生命過程 C 類

第二章 認識の理念 A 真の理念 a 分析的認識 b 総合的認識 B 善の理念

第三章 絶対的理念

ヘーゲル大論理学下巻、武市健人訳、1961,1995、岩波書店

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論理学の下巻に於いて、「主観性」が「客観性」に先行している理由。

一、事象の存在、殊に意識の存在は第一に主観的であり、これが成長発展することで分裂=対立し(客観性)、やがて対立は止揚されて「絶対精神」「となる=が来る」という弁証法的過程構造。

一、物象が「法則性」との関係において「主観的」である一方で、絶対者は完全なる「客観」である。

一、主観性とは「下に立つもの=従属するもの』であり、「第二に」来るものであるが、現実世界ではこの関係が「転倒=逆立ち』している。始原の絶対性が外化=疎外された相対的主体性が現実世界の主観性である。弟子を洗足するキリスト。