読書

町立図書館にて、鶴田知也、佐藤泰志、それにアイヌに関連する社会学のテクスト等、目を通す。雨、風は湿っているが心地よい。図書館はこの町にはめずらしく現代的な佇まいをしていて、その中にいても外で煙草を吸っていても気分が和らぐ。雨が、図書館前の…

稀薄な関係性の、やはり絶対性であること、等

わたしは北海道の南の半島部で生まれ育った。 18歳で初めて北海道を離れ、東京の一隅で暮らすことになったのだが、その時期の青年にはけして珍しくないことだが、成人する前後というのは、自分の置かれてきた境遇に悩み、迷うようなことがあった。たとえば…

鶴田知也をよみながら

鶴田知也「コシャマイン記」、それに幾つかの短編やエッセイ等に目を通す。鶴田は1902年、福岡県に生まれ、(現在の)東京神学大学在学中の1922年以来、この八雲をたびたび訪れているようだ。幼い時からその存在は知っていたが、作品に目を通したこ…

自問のための、memo

ある種の時代的な風潮のなかにおいては、それがアナクロニスムの響きを有してしまわざるをえないことは覚悟の上で、わたしには敢えて用いてみたい幾つかの言葉がある。 理想、というのがそれだし、マルクス、共産党/共産主義、マルクス主義というのがそれで…

最近のニュースで、

気がかりだったのは、マイケル・ジャクソンの訃報、選挙関連のものかしら。 マイケル、わたしは「Human Nature」という曲がなんといってもお気に入りだった。 それに、やはり「we are the world」です。 どちらも素晴らしいの一言に尽きる。スリラー、は、小…

久しぶりに、

ブログを書いてみる 最近読んでいるのは、マクグラス、アリストテレス、倉田百三。 倉田百三は存外に面白かった。どうしていままで読まなかったかと後悔させられた。おそらく第二次大戦中の政治的態度の問題から、余り読まれなくなったのではないか、と、推…

メモ

たとえば、テロリズム概念の安直な適用、また、テロへの条件反射的な忌避、恐怖、こういうものへの嫌悪感について書きたいと思っている。 また、希望はあるということ。また希望は持たなくてはならないものだということ。それが大前提であること。 目的観念…

ありがとう、キヨシロー

忌野清志郎がしんだ。昨日、朝の、某スポーツ新聞の一面でその事実を知って愕然とさせられました。中学生以来、折に触れてはその歌を口ずさんできました。紙面を目にして、否がおうにも、「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞が口をついて出ました。ロックアーティスト…

メモ、現在の文芸が喪失しているものについて

いや、それを喪失と呼ぶことは、聊か適切さを欠いた身振りであることを、まずは反省しなくてはならないと思います。喪失の言説、空虚の言説が、いかほど私たちから力を奪ってきたことか。それは、私たちが意識的に抵抗すべき、いわば時代的な言説に他ならな…

メモ、石原吉郎について少し

変わるものと、変わらないもの。石原吉郎を読んでいると、わたしたちの日常生活の節々と、苛酷なシベリア抑留体験とが、ある連続性を持ったものとして見えて参ります。それが如何に神話化されていようとも、わたしたちは人類的な体験を単に特異なものとして…

インターネットにおいて書くこと

何かを書き記しておきたい、という欲求があって、一方では、何を今更書こうというのか、という諦めに似た思いがあり、その二つの傾向のあいだを振り子のように揺さぶられながら、わたしはこのブログを綴ってきたし、これからもそうだろうと思います。インタ…

テスト

テスト

高専の頃までを、少し

もう長いことギターに触っていない。また、復活させたいと思う。 わたしには小さな和太鼓の楽団をやっている兄がいて、日常的に音楽に携わっているかれが少し羨ましく感じられる。ひのき屋、といって、CDも発売している。ヨーロッパ、アジア、南米、各地を…

健康について、その他

最近は比較的に調子が良いらしいです。ものを考えるようなことがどうにかできているみたい、できそうだ。病気のせいかそういうことが非常にむつかしい時期を行ったり来たりしています。抽象的思考の困難というのは云われているようなので。病気、と、ひとく…

よむこと

熊野大学にはいったことがない。どんなものか体験してみたい。いつか、そんな日が来るかな。中上健次には思い入れがありすぎる。文学の体験といって思い浮かぶのはやはり中上です。自分の幼年期の光景に思いを馳せざるをえないのです。文学の体験は、まさに…

追記

荒地にせよ白樺にせよ、そもそも文学運動というのは、非商業的な同人誌を媒体としてなされてきた歴史がある訳で、あるいはもう一度そういう原点に立ち返るべき潮時なのではないか。賞をめぐるシステム性への無自覚な依存は不毛なところにしか我々を導かない…

現代詩の卵について

とにかく、いい現代詩の作品をよみたい、という欲求に、いつの頃からか取り憑かれたようになっています。それも、戦後詩の歴史を刷新するような斬新な形式を備えたものを。これは実現不可能な欲求なのだろうか。文学史的な理解は、それは不可能だよとわたし…

変化について

* おおきな時代の変化のうちにある、とはどういうことだろう。ここ30年近く、この国は諸方面において相対的に安定した時代だったと云えると思いますが、変化の経験についての貧しさが、変化を敏感に察知することを困難にする傾向というのはありうるかも知…

忘却についてのつぶやき

* 現在は過去の様々な経緯のうえにあるのだが、後にくる世代は過去の経緯を、とりわけ近い過去の経緯を無視しがちな所があると思います。この現在が、先行世代の努力や経験の先に構成されているということです。未来への熱望から過去を閑却する身振りならば…

猶も、存在し続ける根拠

「現代詩手帖8月臨時増刊 吉本隆明」(1972、思潮社)に所収の幾つかのエセーを読む。当時の状況的な知識を充分に弁えていないので、その理解には自ずから限界が生じざるを得ないのですが、詩人としての吉本隆明の像をいくらかでも明瞭にすることができる一…

物語

* オイディプスの劇はさながらある人間の普遍性を示しているかのようです。だが、フロイトの説明は殊更に必要がない。虚心に読めば、そのことが得心されるはずである。盲目となることが市民的であることだ、という示唆がそこにはある。盲目となり、子供に手…

奇妙な光景

* 長い間にわたって躁的な光景が広がっていたが、最近の不況のニュースが人々をして我に帰らせているように見える。だとするならば不況のニュースも薬だろう。問題は、そのなかで苦しむ人々の救済に、社会の覚醒は精々の所ずっと遅れて手を差し伸べるに過ぎ…

読書遍歴

* わたしが文学作品に開眼させられたのは、小学生の時に入院先の病院のベッドのうえで読んだ夏目漱石の経験であったと思います。「坊ちゃん」。畳みかけるような文体に、子供ながら刺激的な読む楽しさを覚えていました。それから、中学生の時には、日本文学…

( 空虚について )

* わたしには思想状況について書くことはむつかしい。現在ある状況は思想状況として取り扱うことが非常に困難であるという認識があります。ゼロ年代というような概念があって、それはそれなりに正鵠を射ているのだと思います。しかし、それを分析する立場と…

意味について

意味について問うというともすれば古風な振る舞いをわたしは自分に禁ずることができない。色々な声が聴こえる。曰く、「意味などというものは幻想に過ぎない。そんなものは忘れてしまいなさい」「意味について問うとおかしくなるよ」「無意味こそが我々の出…

視座

信仰と生活、政治と宗教、芸術と信仰、芸術と政治、また、生活と政治、生活と芸術。こういう様々な組み合わせにおいてあたらしい視座を求めたい。それらは本来統合されていた何か、です。分化発展はある限界点に達しています。そこでそれらの間における関係…

共有すること、鮎川信夫

想像力は、たんに作家の制作上において問題になるものではありません。 読み、あるいは総じて受容する過程においてもやはり想像力が求められます。芸術作品の現象は、作品をめぐる様々な精神的な営みの交錯をなしています。そこにおいて、作品が受容者と出会…

鮎川信夫の詩とともに

この現在において、鮎川信夫の詩を読むということは、どういうことなのだろうかと、自問をする。 「戦後」という時代は終焉したものと云われて、もう長い年月が経っているが、それではこの、戦後詩の典型をなした詩群の価値は失われていると云えるでしょうか…

希望について

<希望は運命の如きものである。><人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。> <決して失われることのないものが本来の希望である。><愛もまた運命ではないか。運命が必…

信仰、芸術、詩、実践

信仰とは何でしょう。それが、いまの私の課題の一つを成しているように感じます。わたしには、芸術も詩も、信仰においてはじめて、その意義に目覚めるというような予感があります。 それらは本来、一つのものであって、おなじ心の場所から来たるものではない…