転載
園子温といえば「ジーンズを履いた朔太郎」とも評される現代詩人として活動を始めた鬼才。私は学生の頃、同じく詩人の杉本真維子に彼の第一詩集を紹介され、衝撃を受けた記憶があります。
そもそも、「なぜ」政治が私人や団体のお金で動いてはならないのか、という所を踏み込んで再び明らかにする必要があるのではないだろうか。
なぜ贈収賄が不法とされているのか。
安倍などは恐らく、「政治がお金で動くの当たり前でしょ、経済最優先でやってるんだから。新自由主義的な経済学的に吟味した政策の結果が大企業優先なんだから、悪いことをしているのではない。大企業に利益を与えてこそ、全体の経済が回復する」こういう論理でしょ。それがあのクックックという含み笑い。
ここでも、要するに「理念」が忘れられて、「人間はお金で動くのが当たり前」という露悪的な世界観になってしまっている。人生も国家も、幸福や自由という理念に向かい、自らの意思で動くべきものであって、経済はその手段として、毒にも薬にもなるという大前提が忘れらがちではないだろうか。
気迫漲るね。そもそも政治の本来の姿はこうした運動であり呼びかけであり集会であって、国会はそれを形式化、制度化したものでしかない。ダラダラと官僚の用意した答弁を読み上げるだけの国会など、腐敗した本来性の成れの果てなのだ。