「正しい」概念とは<真理>の欠片であり、枝葉であるが、同時に真理は思考による探求の最終目的ではあっても、人間の倫理的な最終目的ではない。倫理性は思考を含む全ての人間活動を貫徹する最終審級であって、あらゆる概念について正しさが要求される自然な傾向もまた、思考を支配する倫理性にその根拠を有する。

真理はそれだけでは十全に倫理的要求を満たさない。それが心情の本質的な自由と結びつき、倫理的な真理が自由かつ自然な自由意思を成立させた時に初めて、真理はその役割を終える。自然の人間化は人間の自然化であり、外的客観性と内的主観性が一致する時に、自由意思はその相対性・有限性を脱し、真の自由が実現する。それが同時に来臨であり、救済であろう。